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高槻 寒天雑話 其の四

2015年07月21日

                    参考文献

 

1.Wolfgang Hesse (translated by Dieter H. M. Groschel) : Walther and Angelina Hesse – Early Contributors to Bacteriology. ASM News, 58 (8) 425-428 (1992)

2.Robin A. Weiss: Robert Koch: The Grandfather of Cloning?: Cell 123:539-542 (2005)

3.Hitchens,A.P. & Leikind, M.C.: The introduction of agar-agar into bacteriology, J. Bacteriol. 37:485-493 (1939)

4.林金雄、岡崎彰夫: 寒天ハンドブック 光琳書院 昭和45年6月1日発行

5.山中太木: 寒天の鴻恩 寒天に感謝を捧げよう 禅 第375集: 1-5 昭和61年7月

6.井川好: 近世・北摂における寒天生産について 関西歴史散歩の会 2006年1月月例会(2006)【平成18年1月8日(日) 高槻市総合市民交流センター5階視聴覚室での講演まとめ】

7.野村豊:寒天資料の研究【古藤勘平、黒田貞一、弓樹幸四郎、橋本佐太郎、石田和夫、石田与三治、各氏所蔵古文書】

8.Brock, T.D.: “Robert Koch”, ASM Press (1999)

 

                 寒天製造法の改良者

 伏水の「心太の干物」あるいは「凍(こおり)瓊脂(ところてん)」の製造が全国に広がったのは、製造法(凍結乾燥法)が改良されたからであると考えられています。心太の凍結乾燥法を改良したのは、摂津国嶋上郡原村城山の宮田半平であるとされています。半平は心太の塊を細く麺状にすることによって、凍結しやすくまた乾燥しやすくしたのです。いわゆる細寒天の発明です。摂津国嶋上郡原村城山とは摂津峡(摂津耶馬渓)に近い高槻市塚脇・東城山町あたりかと思います。

 

    

 

  

 1700年代後半(明和あるいは天明年間、1764年~1788年)に、摂津国島上郡原村城山(高槻の三好山あたり)の宮田半平が美濃屋の「心太の干物」作りを見学苦心して、凍結乾燥効率を改善して細寒天の製造法を発明して以後、寒天作りは全国に広まり、山間部の農家の冬の産業として定着していったとのことで、皮肉にも、美濃屋のある伏見の寒天作りは廃れていくことになったようです。

 

 宮田半平が寒天製造法を学んだのは美濃屋利兵衛からであるといいます。高槻の聞力寺にある宮田半平の碑に利兵衛の名は見当たりませんが、寒天製造の偉業を讃える文と漢詩が刻まれています。聞力寺は宮田家の菩提寺ではないそうで、この碑は大阪府・京都府・兵庫県の寒天業組合が建立したものです。この碑の拓本を大阪医科大学の元学長 故山中太木博士が作成され、その写真のコピーを山中博士のご子息より頂いたので碑文の写しと写真を添えて以下に供覧します。

 

 

     

 

          此是日本特産寒天巧製之祖宮田半平翁頌徳碑也翁以享保

          十六年三月生於大阪府三島郡清水村原 夙有済民之志焉距

          今二百六十八年正保四年山城伏見有美濃屋太郎左衛門者

          雖創製寒天其法尚粗而其用亦微也天明年間翁就而見苦

          心研鑽始得精製先教之於其郷里遠近競傳焉享和三年十二

          月没享年七十有三 子孫襲業益栄矣官追賞有賜而今也従斯

          業者廣互全國其産額年達巨萬販路遠及海外二十有餘國盛

          矣哉蓋翁増國富資民業之恩澤愈久而愈顕著也頃日組合相

          諮欲建碑頌之以慰英霊且為世鑑銘曰

              山水清處 天生偉人 斯翁有焉

              益國利民 大哉功徳 流芳萬春

          大正三年五月

            陸軍大佐正五位勲三等田宮一郎撰  中井百書

 

 

                 碑文の抄約(山中太木博士記す)

 これは日本特産の寒天製造の祖 宮田半平翁の功徳の碑です。

 宮田半平翁は享保16年3月(1731年)大阪府三島郡清水村原に生まれ、夙に済民の志に深いひとであった。正保4年(1647年)山城国伏見の美濃屋太郎左衛門が寒天製造法を創案したが、その方法はなおまだ未完成で用途も狭かったので、宮田半平翁が天明年間(1781~1788年)に見学苦心してその精製法を開発して郷里近辺に伝え、享和3年12月(1803年)73歳で没せられました。

 

 子孫はその業を継いで繁盛し、官も賜金追賞した。しばらくして業者は全国に拡がり年額巨万の販路を広め、海外二十数カ国に及び、宮田翁の恩恵はいよいよ顕著となったので、寒天組合は相諮って碑を建て英霊を慰めることにしました。

 

  山水の清き処に

   天は偉人を生むもので

   翁はかくして国を益し

   民に利した その功徳は実に大きく

   芳しさは萬春に流れる

 

       

 

 宮田半平の工夫とは、心太の塊を凍結乾燥させるよりも、心太の塊を突き出して細くすることによって、凍結乾燥効率を高めるというものです。寒天の製造法は自然凍結によるもので、風向きなどによって心太の塊は均一に凍結しないなど天候の影響を受けます。そこで、心太を細くして、表面積を増やすことで、凍結乾燥の効率を改善したのです。翁の住まいである原村の気候でも安定的に寒天を製造できる方法は、寒さの度合いの異なる様々な地域での寒天作りを可能とし、寒天作りが全国に広まる切っ掛けとなったのでしょう。ただ、角寒天の製造法がすたれたのではなく、各地の気候に合わせて角寒天と細寒天が製造されたことは付記しておきます。また、高槻の地は原料の調達にも利があったものと考えられます。東海道細見図の西海陸細見図を見ると、西海の東端に高槻城が描かれており、瀬戸内海の水運の東端が高槻であったとも考えることができます。各地の海岸で採取された紅藻類を水路で高槻に運び、芥川を遡って原まで届けたのでしょう。

 

   

 

                   寒天の応用

 寒天の用途について、寒天ハンドブックを参照してその一部を列挙しました。

 

  食用 :

    心太、中華料理、寒天飯、豆腐、ゼリー、プリン、スープなど

  食品加工用 :

   製菓、蜜豆、佃煮、乳製品(ヨーグルトなど)、缶詰補填剤など

  工業用 :

   写真紙、ゴム糊、水性ペイント、ワックス、布の仕上げ剤、起泡剤など

  農業用 :

    殺虫剤、農薬安定剤、人工飼料添加剤 化粧品用 シャンプー、マスカラ、水石鹸、歯磨き類、

   毛髪油、各種クリームなど

  医薬用 :

    緩下剤、乳剤、カプセル、オブラート、坐薬、軟膏基材、整腸剤、肥満防止剤など

  学術研究用 :

    微生物培養基、電気泳動基、ゲル濾過基など

 

 驚くほど多くの用途があり、「なるほど!」と先人の智恵に垂頭の思いです。中でも、元来の用途である食品関係ではこのようなものにも含まれているのかと感心することしきりです。

 

 以下に示したように、食用に限ってみても、さまざまな食品に応用されており、おそらくこれは、寒天が無味無臭中性であるため、食材の味に影響を与えないという物性にあるでしょう。

 

 東南アジア料理

  果物の包埋した菓子

 中華料理

  「菜燕」と称し、慶弔時の食事や来客への食事

 精進料理

 菓子

  練羊羹

  密豆

  金平糖・琥珀飴

 グルテンの少ない小麦粉に軟化剤として添加したパン

 ジャムのとろみ

 缶詰の内容物の固定

 その他

 

                                                 つづく

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